大御所作家はシューマンが嫌い

鍵盤音楽
江戸時代の浮世絵に描かれたスカイツリー。の、音楽フラクタル。 バロック時代に演奏されていたジャズフレーズ。

 「ブラームスはお好き?」というフランソワーズ・サガンの小説、若い時分に「悲しみよこんにちは」とともに読んだ記憶があるも、後者は割と覚えているのに、こっちはどんな内容だったか全く覚えていない。せめてブラームスを「好き」だったのか「キライ」だったのか位は覚えてないとバチが当たりそうなものだが(つって当たってるのかもしれないが)、それさえも記憶にない。作者には誠に申し訳ないのだが、フランス文学はそれっくらい自分とは無縁のものなのかもしれない。が、その頃から知っている事実がある。カナ~リ多くのピアニストたちが、「フランス (人)にはブラームスがウケない。」と思っている、という事実を。具体的な名は秘すが、その道の複数の方々から伺っている。で、自分も「そうだろうな」と思うのだ。ブラームス。究極の元祖ネクラ(シック)きもヲタ男で自分と全く一緒だ、音楽的才能の有無を除いて。異性との交際にアケスケなフランス人に好かれるはずがない。じゃあフランス人に好かれるために自分を変えたいか、と思えば左に非ず。フランス人から幾ら嫌われようが、ブラームスに共感出来る💓を失う方が、ずっと耐えがたい。それ位ブラームスは欠かせない音楽であり人物である、ネクラきもヲタ男にとっては。

 で、我が国の文壇人たちの一番人気、どうやらモーツァルトのようである。これには明白な元祖がいる。小林秀雄だ。著作品は餅、文庫本で(大体)「無常と言ふこと」とカップリングされる其のものズバリ、「モオツアルト」だ。で、追随者の代表が五味康祐。二人の主張するところは殆ど同じ。「モオツァルト」は人生の「歩き方」の「達人」であり、究極の「リアリスト」なんだと。あぁ、文学者さんたちからはそう見える(聴こえる)のね。でも、モーツアルトを愛して下さるのは有り難い、素晴らしい。どうもありがとう。素晴らしいんだけど、何でこれまた二人とも「リアリストから最も遠い」という理由で以て、対極の最低作曲家に我らの「ロベルト」くんを認定するんでしょ。彼のことを「才能がある」とは言ってる(by小林&五味)。でも「(音楽の)才能なら私にもある(by五味)。」だが「その才能を美貌のピアニストを得るための手段にし」って、シューマンに限らずミュージシャンなんて大体そんなモンなんだが、それ故に「彼女(クララのことか?)を手に入れた瞬間、その才能は枯れるのである。」ですか。ふぅ。クラ界のイチ勢力、シューマニストたちにケンカ売ってるおつもりなんでしょうが、あのうシューマンへの批判としては正し(いかもしれな)くとも、我々シューマニアには何のダメージにもなりません。だから別に反論はいたしません。てか、シューマンの人気の理由がどうこうよりシューマンが嫌い、というより憎んでらっしゃるんですね。むしろ我々は、そんな文学者さんたちのお気持ち十分にお察しいたします。はい、仰せの通りです。彼はデラシネ、ボヘミアン。それは先輩シューベルトへの憧れと尊敬の現れ。二人とも「旅」に身を託し、常に現実社会からの逃避のツールとして音楽にすがった。文豪の皆さんからすれば正しく「リアリズム」の欠如した「自己愛的」な作風という事なんでしょう。そう、フランツもロベルトも、ウォルフィとは比するも値しない不完全な作曲家です。でもそれが(前期)ロマン主義というもの。他方彼、シューマンの回りはメンデルスゾーン・ショパン・リスト・ベルディ・ワグナー ・・・ と、モーツァルト~ベートーベンの系譜として連なる、破格の作曲能力と技量を備えたプロ作曲家たちがひしめいている。なのに、その人気を全て合わせた程の支持を、素人作曲家シューマンひとりが受けている。東西を問わず判官贔屓こそ最も熱心なファン層となるものなのだろうか?不思議だね。でも何となく納得できてしまうけど。そうそう、作曲活動と並行して文筆活動もしていたことに偉く批判的ですよね。あははっ、先生がたも修辞でお逃げにならないで、本音しゃべっちゃいましょうよ。「音楽だけやってろ」なんて、もう先生方の負け、ご自分達で認めてるようなものですよ。そうですよね。「才能なら私にもある」って言ったって、ロベルトのレベルのピアノ曲や歌曲、簡単には書けません。良くお分かりじゃないですか ・・・

 と、ここまで言ってみて、長年の疑問のひとつが解けた気がする。大学受験で現代国語の試験問題になぜ必ず小林秀雄、それもよりによって「モオツァルト」が出題されたのか。国語の先生、それは町人文学者や小説家でもあるわけで、作曲と文筆業を両立していたシューマンに対するルサンチマンを、「試験問題」という形で浄化(カタルシス)していたのだ、と。な~んだ、たんなるヤッカミじゃん、何という茶番劇。良いさ、どう言われようがシューマンは愛され続ける、何時の日か「モオツァルト」が絶版になることはあっても。

追記.高橋悠治の「モオツァルト」批判、トドメ的評論です。また日本の文壇とは全く関係ないのですが、G.グールドのモーツァルトソナタ全集CDのライナーノートには、グールドとモーツァルトとの架空対談があり、とても面白い内容です。ここでは逆にモーツァルトの「リアリスト」ぶりをグールドが揶揄する、というもので、まるで彼が小林の「モオツァルト」を読んでいるのか、と思わされるほどです。でも晩年の愛読書が漱石の「草枕」や「こころ」であったことを鑑みるに、あり得ないことではなかったのかもしれません。

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