村上春樹は「グローバリズム文学」である

マスコミ論

 こんにちは皆さん、一週間のご無沙汰、『ロッテ』歌の多摩雑報です。音楽ネタupしますって言っておきながら、長いインターバルを作ってしまいました。でも「大阪廃止案」廃止も確定、徐々に本来の記事upに務めてゆくつもりです。今日は音楽ネタに入る前に、当blogには珍しく文学ネタをupしてみます。

 愛知県出身の作家、「清水義範」の小説をけっこう読んでいた時期がありました。これには明確な理由がある。自分は小説というと20代からは筒井康隆と安部公房の二人しか読まなくなってしまった。ところが安部は段々筆のペースが落ちて ~ 本当はワープロで書いてますが ~ 新作がめっきり減少、そして筒井は断筆宣言をしたものだから、よりによって好きな作家の作品を読む機会が減ってしまった。で、清水が筒井作品に割と似た作風に感じられたのだ。彼の作品は、確かパスティッシュ小説とか呼ばれており、これはパロディ小説の大家、筒井作品の影響があるかな、と今でも思っているわけです。

 その清水義範に「主な登場人物」という短編がある。これは長編小説の本文の前に置かれた登場人物のレジュメだけを読んで、どんな内容かを想像してみる、というものだ。今日はこの手法を用いて、ノーベル賞候補作家の村上春樹の作風を追求しようという試みである。え、一冊でも読めば良いだろうですって?然り!自分は村上春樹の小説、一冊どころか1つの短編さえ読んだことがない。てか村上に短編小説があるのか否かさえ知らない。「じゃあ読んだこともない作家の評を書けるわけないだろ!」と、ハルキストさん達は怒りますよね。でも書きます、堂々と。そして断言します。結論。

♢村上春樹は「グローバリズム文学」である、と。

 なぜ堂々と書くか。キライだからです。読んだこともない人を好きもキライもないだろ、って訳ですが、村上さん、とにかくメディアに本当に良く取上げられる。で、その取上げられ方と能書きが自分にはどうもそら寒い。良く言えば興味の対象に触れない。ハッキリ言えば「ウザッ!」。しかも自分のような人、決して少なくない。もちろん読んでいる方、周囲にいないわけじゃない。どころか、まぁまぁおられます。が、どっちかと言えば自分と同様「全く読んだことないよ。」という方の方がずっと多い。これ、北風と太陽なんだよ。出版社はそりゃ売りたいっしょ、彼の本。でもね、ダメ、ヤリ過ぎ、逆効果。そもそも日本にプロの物書きさん達の本、無数に出版してて、何でノーベル賞候補は村上さんだけなのよ。それって他の作家さん達に失礼じゃないか。どこの世界・業界にもゴリ押しア○メみたいな存在はあるけれど、出版業界、幾ら何でも策がなさ過ぎ。

 道草食ってしもーた。少しは調べてみっか。google ではなく、yahoo 検索してみる。「なぜ村上春樹はノーベル賞候補になるのか」と入れると ・・・ 何と上位にかかるタイトルは「なぜ村上春樹はノーベル賞を取れないのか」系ばっかりなのだ。既にノーベル賞を「取るべき人」が前提になっているのだ。上位8番目までが、この類い。~ これ自体が明らかにゴリ押しだ ~やっと9番目に「村上春樹がノーベル賞候補に挙げられる理由は何でしょ・・・」があった。が、わっ、これヤフコメ名物・工作員蔓延の yahoo chiebkuro ではないか。どれどれ。

 村上春樹って、日本含め世界中で売れているのに日本にアンチが多い作家ですよね。 日本にアンチが多いのは、やはり日本の純文学ファンが是とする日本語の形を踏襲していないことが内容よりまず先に引っかかってしまって、物語に入り込めないからなんだろうとおもいます。 彼は長く翻訳をやってきた人だし、読んできた本も翻訳ものが多いと言うことで、自然にそういう文体になってるんだと思います。 だから、どちらかというとヘヴィーな純文学ファンではなく、文体にあまり偏見のない日本人の読者の方が入り込みやすいんだとおもいます。

 村上春樹ファンの話を聞いていると、巷でよく言われる様な「乾いた文体が都会的でいい」と言う人はほとんどおらず、「登場人物の心の動きや行動などに非常に共感できる点が多く物語に入り込める」ということを挙げる人が多いのもそのせいだと思います。 女性の春樹ファンでは「アンビバレントで時に支離滅裂な女心を的確に表現できているところが大好き」と言っていた人もいました。これも内容への共感ですね。 もともと外国語の素養のある作家がその影響を受けた文体で書いたものなので、外国語に翻訳する事が比較的簡単なこと。各国語に翻訳されてもなお、広く世界で賞賛されるということは、細かい文体の問題よりも村上作品は多くの現代人にとって共感できる要素をたくさん含んでいるということが言えます。 このように幅広い読者の共感を得て、日本を含む世界で広く読まれているということが、世界における村上作品の文学的価値だと思います。

 ただ日本語の文体を重視する日本のリージョナルな純文学ファンにとっては、村上作品はきっと物語に入り込む前にまず受け入れられないものだというのは当たり前の話で、その意味で芥川賞とか直木賞みたいな賞を村上春樹さんが取ることはないと思います。 どっちにしてもどこに価値をおくかで評価なんて変わってくるものですし、ノーベル文学賞も芥川賞も直木賞もその意味では並列ですよね。村上春樹が理解できない人がいること自体は十分理解できるので、それはそれでいいと思います。 ま、ファンとしては村上春樹さんがノーベル文学賞を受賞したらやっぱり嬉しいですね。逃したら逃したで残念だけど、作品の良さが変わるわけではないので、別にいいですけどね。

 これ、彼の小説の魅力についての記述であって、ノーベル賞候補になる理由には全くなっていない。が、回答者の気持ちは勿論分かる。そりゃ自分がヒイキにしてる作家は応援したいよな。そうではなくて、何故に候補が暗黙の了解になっているか、だ。仕方ない。「取れない理由」を見てみる。うん、これだ。

 村上春樹がノーベル賞候補になっているとの噂が人々の口の端に上りだしたのは、『海辺のカフカ』(02年)が発表された後のことだ。春樹がチェコのフランツ・カフカ賞を受賞したのは『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出た06年で、この賞はどの作品を評を価したかを明確にしないが、「チェコ語訳の著作が一つはあること」を候補の条件としている。『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出るからカフカ賞の候補になって受賞したのだというダジャレのような推測はそう外れていないと思われる。カフカ賞はノーベル賞に一番近い賞と言われている。それは、04年、05年と2度、この賞の受賞者がノーベル賞も受賞することが続いたからだ。そのカフカ賞を受賞してしまったがために、以降、春樹は毎年ノーベル賞騒ぎに巻き込まれることになってしまったのである

 ケテー。これが出版社をして、彼をノーベル賞候補っていうゴリ押し手法を自信を持って売り出すことにしているわけだ。はい負け、村上さん、そして出版社の皆さん。「カフカ」ならば日本人作家で安部公房の右に出る者、いるわけも無し。そっか、それで安部も候補になったんだっけ。翻訳の多さも村上の先陣を切っているし、翻訳語数も拮抗しているよ、多分。莫迦じゃん。カフカ賞取って10年以上も経ってるし。何も真面目に取組んでupするようなテーマじゃなかった。要するに何故ノーベル賞を取れないかというと「候補にすらならない」という事実を出版社がひた隠しているから、なのね。

 小説以外ならば、一冊読んだことがある。「意味がなければスイングしない」という、音楽評論である。これは文学者のそれとしては非常に優れた論評だ。何とかバカボンとかいう青い目のインチキDJよりもよっぽど的を射た評を展開している。だから作家としてフツーにプロの物書きである、で十分でしょ。これ、むしろファンにも、そして本人にもウソついていることにならんかい?虚構の世界を描くお仕事の人たちをコーディネートしてたら、自分たちも世の中を虚構喧伝して良いものと、作家さんと自己同化してしまったのね、出版業界って。

 最後に、彼の作風を「グローバリズム文学」と名付けておしまいにします。その根拠について,三橋貴明氏が定義した「ナショナリズム」と「グローバリズム」との対比表を貼って置きませう。

【ナショナリズム 対 グローバリズム】

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