音楽用語のウソ知識(2)

鍵盤音楽

 こんにちは、多摩雑報です。ようやく大阪市廃止案住民投票の呪縛が、アタマから解けつつあるようになってきました。ドンドン音楽・多摩・Rail の話題をエントリーして参ります。

 前回、バッハのゴールドベルグ変奏曲中に、モダンジャズのアドリブフレーズが紛れ込んでいることをお伝えした。今日はベートーベンにも同様の現象が見られることを指摘してみたい。彼の生涯は56年数ヶ月である。決して長寿とは言えない。が、先輩モーツァルトの享年は36年未満、後人シューベルトの31歳に比すれば音楽家、それも作曲活動期間はずっと恵まれて確保された生涯であるとは言えるだろう。40代半ば、といったらイパ~ンピープルの人生としたら、随分と若い年齢だが、ベートーベンは54歳くらいで作曲の筆を止めてしまったから、このぐらいの歳でも「晩年期」という言い方が定着している。これ、お断りワードとさせていただきますね。

 で、晩年期の作品には、しばしば下から上へ、譜ヅラがあたかも階段を登って行くように見える音型がしばしば散見される。が、バッハほどではないにしろ、これもチャーリー・パーカーなんかのモダンジャズプレーヤーが好むフレージングの一つだ。だから、「ん、ルードヴィッヒ君、キミもバッハみたいにタイムマシンに乗って、現代に来たの?」と、思わず声をかけたくもなるのだが、流石にゴールドベルグほどの、ジャズ固有の表現方法というほどではない。それを言うならば、まぁ超ベタベッタベタで例にするのも気が引けるのだが、ピアノソナタ第32番第2楽章VarⅢというありえへんモノがある。

 また、より純粋にジャズ理論の枠組みで説明されるジャズ・イディオムの用法ならば、代理和音すなわち所謂ウラコードの利用が、それこそ初期からずっと認められる。では、どのように説明すべきか?

 案外これ、簡単単純なことだと思う。ベートーベンがタイムマシンに乗ってたんじゃなくて、モダンジャズ黎明期のプレーヤーたちが、カッコEフレージング例として、ベートーベンのそれを吹いてみた、ということだ。クリント・イーストウッドが監督した「バード」という、チャーリー・パーカーの自伝的映画がある。この中で、生前の彼がインタビューに応じるシーンがあり、「クラシック音楽の和声法を取り入れた」的なことを確かに述べていたはずだ。これは自分にとって結構な衝撃だったから、否が応でも忘れられぬヒトコマなのである。ふぅ~。モダンジャズマニアの皆さんたち、いい加減、原理主義の度が過ぎる。確かにチャーリー・パーカーは革命的音楽家だ。ハードバップスタイルをたった一代で築き、完成させてしまった業績の凄さ。でもね、その事くらい、オーセンティックな音楽教育を多少たりとも受けた者ならば、大体理解出来ますよ。また、あのアドリブ構築の方法論には、12音技法が絶対不可欠であることにも容易に気付きます。

 ウラコード。これはクラシックにあるか、無いか?心情としては、直ぐにでも取上げたいが、やはり一筋縄ではいかぬテーマである。しばし、別のアイテムをエントリーし、知識を整理していきたい。では本日のまとめです。

◇ベートーベンをはじめとするクラシックの大作曲家たちに見い出せる現代性、それは因果関係が逆転している。現代に生きる音楽家たちによる、古(いにしえ)の音楽遺産の利用行為である。

追記.稀代のジャズピアニストである、キース・ジャレット。そろそろ演奏復帰は困難との様子。モダンジャズのコアファンが彼を酷評し、しかも、それがジャズファンの総意となっている我が国のジャズシーンは、恐ろしいほどに閉鎖的かつ本文でも述べたように原理主義的であると言わざるを得ぬ。このコロナ禍こそ、ジャズは新たな演奏の方法論を議論し思索してゆく機会ではなきか、と。

 

 

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