京王散策(8-b) え、優等が各停を待ち合わせ?

首都圏交通事情(と言っても主に多摩地区)

 こんにちは、多摩雑報です。とかくケチネタの尽きない京王電鉄、どんどんケチクサ話題を提供していゆきたい所存です。が、前回の北野駅ケチリ駅構造をトピックとした動画がyoutube にあがっており、そのコメ欄は眼の眩むような投稿の山に驚きました。よって今日は捕捉として、想うところを述べたいと存じます。

 前回、北野駅の上りが高尾線と本線の電車が同時侵入出来ないという、設備をケチった駅構造である旨をお伝えした。それについて少し捕捉を加えたい。京王電鉄の特急は1968(昭和43)年のダイヤ改正で、特急の最高速度を105㎞に引き上げることで、新宿 → 京王八王子間の所要時間を35分とした。が当時は輸送力増強のため、電車の長編成化が続き、それを実施するためのホーム延長工事の煽りを受け、中々この所定時間で走る特急は少なかった。1971(昭和46)年には36分代、そして1974(昭和49)年以降は新宿駅の改良工事のため、当初は4線5面だったのを3線3面にした関係から、しばらくは37分代になってしまった。1978(昭和58)年に新宿と笹塚間3.6㎞を別線増とする、京王新線の工事が竣工したので、久しぶりに35分となるも、1992年の改正で相模原線の特急を新設し、笹塚⇔調布の運転本酢が1時間当たり21本となり、減速を余儀なくされ、結局ほぼ10年間は36分だった。それが特々法工事の終了(=完成)で、多少は設備インフラが向上したのて、その設備をフルに活かすダイヤを実施、京王史上初めて34分とした。このダイヤは残念ながら2011年3月の東関東大震災の影響による減便政策で特急の運行が無くなってしまったため、8年間だけのタイムで終わった。

 筆者は八王子在住の知人が複数いる関係で、新宿と八王子を行き来する機会が多々ある。2001年ダイヤ期には、約100往復は特急に乗っている。利用の際には、新宿のホームから動き出して京王八王子に完全静止する時間を殆ど全てストップウォッチで計測していた。その結果を申し上げよう。34分代すなわち35分フラットで走行したことは只の一度も無かった。大体35分を5秒ほど回るのである。だから本当は35分が限界で、34分は確信犯のハッタリアピールであった、と結論せざるを得ない。が、しかしまぁ、頑張っていたのは認めるし、34分59秒も34分と言い張るならば、足らぬこと6秒である。大目に見て上げぬでも無かろう。問題は高尾→新宿だ。新宿 → 高尾すなわち下り準特急は、北野駅で京王八王子行きの各停と同時発車であるから44分で走れるのに、上りは同時入線出来ない以上、各停の待ち合わせ時間を組まざるを得ない。だから他の区間でどんなにスピードアップしたところで、その貯金は全て使い果たしてしまうことになる。結局急行から5つも停車駅を削ったにもかかわらず、所要時間は急行とほとんど変わらないのだ。

 筆者は京王の首脳陣が2001年ダイヤ案の検討会議がどんなものだったのか、おおいに興味が湧く。ってかそれはウソ、会議なんかしてないんじゃないか、としか思えない。いくら下りが速くなっても、なぜ上りは従来と同じで良しとするのだろう。百歩譲って仕方ナシ、としよう。が、同じ所要時間であれば、削られた5駅にとっては、単なるサービスダウンではないか。最近はそうでもないが、JR各社はダイヤ改正で新幹線を含む特急電車の停車駅を増やす際には、線路改良や車輌の性能向上などにより、必ず以前の所要時間を遵守するぞ。京王も、北野駅の配線をほんの一寸イジる程度のコストで、上りと同等の時短化がはかれたのだ。しかもそれは今だって出来るぞ、ヤル気さえあれば。いくらなんでも社内に、異議を唱える者はいたはずだ。たとえ出世から外されようと冷や飯を食わされようと、どんなに保守的な社風にあっても、会社には必ずそういう骨のある社員が一人ならず居るものだ。ましてや当たり前過ぎることだが、鉄道会社の場合、鉄道が好きで入社する人は少なくない。しかし ・・・

 この改正と前後してK山K一は、あぁ何たることか、代表取締役会長に就任している。そっか、これでは僅か数十メートルの侵入線1本引けない訳だ。そして犯罪者集団出身の不埒な者が現社長とは。そして長引く武漢肺炎禍。社員たちが何やら5ちゃんねるでリークしているぞ。次回、それについて考証してみようかな。ではまた!

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